飛んで イスタ〜ンブ~ル♪
光の砂漠で ロ~ル♪ ※1
あまり聞いたこともない歌を口ずさむ。
(完全に浮かれている状態だ。)
でも、おかげさまでハッピーフライト※2、
目的地へと無事に辿り着くことが出来た。
日本との時差は、△7時間。
(少し時差ボケだ。)
イスタンブールと言えば、シルクロードの終着点、
アジアとヨーロッパにまたがる大都市だ。
文字通り、東西文化のメルティングポット。
4世紀には、東ローマ帝国の首都
ビザンチン(コンスタンチノープル)となり、
13世紀には、オスマントルコ王朝の首都だった。
トルコには、トロイの木馬で有名な遺跡もある。
シュリーマンが少年時代の夢を追い、
実現させた場所だ。
(あぁ、世界史が、なつかすぃ~。)
トルコと言えば、江頭2:50※3が全裸になり、
国際問題になった場所としても有名。
1クールのレギュラーよりも、
1回の伝説。
トルコのことをあまりにも知らない私。
(お恥ずかしい限りです。)
でも、今回の旅は問題ない!!
何故なら、
頼もしい旅のお供がいるからだ。
そう、日本語堪能なトルコ人、ジャネルさん。
身長193cm、体重100kg超の巨漢である。
盛り上がるバス社内で、
様々なトルコ情報を紹介してくれた。
首都は、中央アナトリア地方のアンカラで、
正式名称は、トルコ共和国。
国旗には,三日月と星のデザインを使っている。
クロワッサンのパンの形は、
トルコ国旗の三日月がモチーフになったとのこと。
(ホントか??)
通貨は、基本的にはトルコリラ(1TL=60円)。
でも、インフレが激しいため、
出来れば換金をしない方が良いらしい。
(おいおい、危険な国だな。)
一応、ドル(1$=90円)・ユーロ(1€=125円)・日本円、
どれでも使えるため、とても便利だ。
トルコ語の文法は、日本と同じなので、
単語を日本語に置き換えれば良い。
<参考>
○トルコ語: Ben hergün ttren'le evden okula gidiyorum.
日本語: 私は 毎日 電車で 家から 学校へ 行く。
○英語: I go to school from home with train everyday.
日本語: 私は 行く へ 学校 から 家 で 電車 毎日
(文法が一緒だったら、覚えやすいね。)
ギュナイドン メルハバ!!
言語は、日本と同じウラル・アルタイ語族なので、、
トルコ人の中には日本人のことを
同じ祖先を持つ仲間だと思ってる人もいるようだ。
だから、親日家も多い。
ちなみに、今年は日土友好120年※4。
その親日ぶりは凄まじい!!
ジャネルさんから聞いた親日エピソードに、
私は思わず感動した。
是非、ISOJINマニアの皆様にも
この話をお聞かせしたい。
と、いうことで・・・。
<イラン・イラク戦争の時の話>
1985年、イラクのサダム・フセインは
突如このような声明を発表した。
「今から48時間後に、
イラン上空の全ての航空機を攻撃対象とする。」と。
この宣言により、どの国も自国民救済のため、
すぐに航空機をイランに飛ばした。
でも、日本だけが危険ということを理由に、
救済機を飛ばすことができなかった。
結果、イラン国内に
数百人の日本人が取り残されることに・・・。
その時、日本人を救済したのが、
民間会社のトルコ航空。
危険を承知で、救済に向かってくれたのだ。
おかげで、たくさんの日本人の命が助かった。
当時のトルコ大統領の大英断。
サダム・フセインが定めたタイムリミットまで、
あと数時間しかなかったらしい。
ジャネルさんの説明によって、
私はトルコのことがドンドン好きになっていった。
トルコ 最っ高ーーーー!! 。゚,。(*´∀`)・゜・・
道中、私は気になっていたことを、
ジャネルさんにたずねてみた。
私:「江頭って、知ってますか?」
その時、
温厚なジャネルさんの顔が一瞬曇ったのを、
私は見逃さなかった。
ジャネルさん曰く、
江頭2:50は、トルコでは
ある意味トップセレブ(有名人)だと言う。
(あぁ、聞くんじゃなかった。)
私は同じ日本人として、少し恥ずかしくなった。
※ 次回は、トルコの名所をご案内します。
≪イソジンのよく解る用語解説≫
※1 飛んでイスタンブール・・・
実は、この歌のことを私はあまり知らない。
詳しくは「飛んでイスタンブール」をご覧下さい。
※2 ハッピーフライト・・・
只でさえ、脂性のISOJINは、
頭にかぶり物をしていると大変なことになる。
詳しくは「ハッピーフライト」をご覧下さい。
※3 江頭2:50・・・
芸人の中の芸人。誇り高き男。
自分のスタイルを貫く姿に、憧れる若者も多くいる。
ちなみに、モノモネのレパートリーは無限である。
※4 日土友好120年・・・
和歌山県串本町沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難した。
激しい台風の中、地元住民は命がけで救助活動を行い、
これをきっかけに、トルコとの友好関係は始まった。
この事故があったのが、今から120年前の話である。
(注)ISOJIN Blogはフィクションです。実在する人物、団体、事件には関係ありません。全ての判断は読者であるISOJINマニアの皆様に委ねられています。
2 件のコメント:
通りすがりの者です。
情報満載で、面白いブログですね。
続きを期待しちゃいます。
>washburnさん
コメどうもです。
なかなか、更新追いつきません。
なんとか、がんばりますので、
応援よろしくです。
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